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タロットでみる人生の交差点:自己評価の低い妻が夫に支配され虐げられるということ〜ドラマ「問題のあるレストラン」〜「神官/悪魔」の支配と「愚者/隠者」の自由

 2025年9月27日毎日新聞「人生相談」に興味深い記事がありました。

 回答者は作家の高橋源一郎。相談者は30代の女性。

 内容を抜粋すると、仕事も家事も育児も妻以上にこなす夫に、常に緊張して劣等感を感じている、「平穏な生活と自信がほしい」ということ。

 

 仕事も生活も完璧にこなす細かい人でも、それを家族や他人に求めてこない人もいます。でも、この夫は違うようですね。

 高橋源一郎は、自らの経験を述べてから、

「家」に必要なのは「家事力」でも「経済力」でも「育児力」でもありません。そんなものなにもいりません。大切なのは、そこが、あなたが自由でいられる場所であるかどうかだけ。なに一つまともにやれなくても、あなたが自由なら、子供たちも幸せなのに。自分を自由にしてくれるものへの思いを「愛」と呼ぶのです。だから服従しているあなたの夫への思いは「愛」とはいえませんね。

 と語り、子どもを連れて「とりあえず、退避できる場所へ行く」ことをすすめます。

 

自分を自由にしてくれるものへの思いを「愛」と呼ぶのです。

服従しているあなたの夫への思いは「愛」とはいえませんね。

「自由」は「愛」、「服従」は「愛ではない」。

 

 まずは、この夫の行為は「神官」カードであり「悪魔」カードです。

 え?「悪魔」は分かるけど「神官」?と思う読者もいることでしょう。

「神官」は規則や伝統にこだわります。社会生活にはルールが必要なので、そういった観点からは全く問題ありません。が、宗教も含めた組織では、この「神官」が示してくる規律が、信者やメンバー、人々を厳格に指導し、束縛していくという側面を持っています。

 世間でよく言われる「カルト」もこれに当てはまるでしょう。信者たちの盲信、盲従が「神官」をさらなる独裁的教祖へと祀っていきます。宗教者に限らず、あらゆる組織の独裁・専制的リーダーの末路です。下の者たちは、逆らえばどんな仕打ちを受けるか分からないので、従順になるしかありません。一方でそれを忠誠心に変えて要領よく出世していく人もいます。

 ここでは、「神官」は夫です。この人はいわゆる「モラハラ夫」と言われている類いですよね。この心理的虐待のなかで長い年月を過ごしている妻は、自己卑下、自己処罰観念が強くなっていきます。そしてついには、夫の支配から逃れられなくなってしまいます(この構図は夫婦関係だけに起きることではありません。親子、兄弟姉妹、師弟、先生と生徒、友人関係…)。

 

 テレビドラマ「問題のあるレストラン」(2015年フジテレビ 脚本/坂元裕二)の登場人物である森村鏡子(臼田あさ美)が、とても分かりやすい例だと思います。

 夫から「呪いの言葉」を受け続けたせいで、極端に低い自己評価をする女性になっていた。それに友人の田中たま子(真木よう子)が気づいて救ってくれたのです。上にあげた相談者も、「“自信”がほしい」と言っているので、やはり「ほんとうの自分自身」というものをかなり奪われてしまっているようですね。

 このドラマの鏡子は、臼田あさ美の演技も素晴らしかったですが、ほんとうに典型的なモラハラ被害者でした。でも鏡子は、たま子に連れ添われて夫にガツンと言ってやるので、すっきりしますよ。ご覧になっていない方は、ぜひ。

 

 このように身近でも、世界でも「神官」の支配性は、もうお分かりかと思いますが、「悪魔」と酷似しているのです。

「悪魔」は、ご存知のように邪悪なカードです。あらゆる手段で人間を騙そうとしてきます。あなたを縛り付けている鎖を絶対に解きません。弱味や好物を示して依存させてくるので、いつの間にか人間のほうから服従していたりします。

「神官」もルールを振りかざして同様のことをしてきます。幸せになれないのは、信心が足りないからだ、と言ってきたりします。

 

 こうなってくると、「神官」と「悪魔」の区別ができなくなってきますね。

 そもそもルシファー(悪魔)は、「神」になりたくて堕落したと言われていますが、「神」の厳格さから逃れてきた、とも言われているのです。加えて言えば、エデンの園のアダムとイヴ。イヴがヘビ(悪魔)に騙されて「知恵の実」を食べてしまって「神」からユートピアを追放された、という物語ですが、「知恵」がなかったら、彼らはただただ「神」に服従して生きる人たちだった、という解釈もできます。

 すなわち、「悪魔」は「神官」の支配から「自由」になった天使(堕天使)だ、とも言えるのです。そしてその「自由」「知恵」というものを人間に教えた。

「悪魔」と「神官」は表裏一体、なのですね。

 ひとつだけ注意を述べておくと、「悪魔」も「神官」同様に「教え」を語りますが、「悪魔」はそのなかに、少しずつ「邪悪」を忍び込ませます。なぜなら、人間の絶望を望んでいるからです。逆に言うと、「神官」が「悪魔」化しているのを見分ける方法もそこにあります。いずれにせよ、「邪悪」「不道徳」を見抜くことです。でもそれには知性が欠かせません。

 

「平穏な生活と自信がほしい」と心の叫びを綴ってきたこの相談者は、そう叫ぶ時点で、新聞の人生相談の高橋源一郎あてに手紙を書こうと思った時点で、夫のモラハラに気づいています。これ、気づくのなかなか難しいですよ。「問題のあるレストラン」の鏡子も、たま子に言われるまでまったく気づかなかったのですから。

 そして、高橋源一郎は、兎にも角にも、すぐさまその場を離れることを提案、いや、命令しています。

 窮屈だったのでしょうね。自分が何もできないからいけないんだと洗脳されそうになって、ほんとうの自分を押さえつけていることが苦しかったのでしょう。

 そう「自由」に生きたかった。

 

 さて、「自由」をあらわすタロットカードに「愚者」と「隠者」があります。とても対照的なカードに見えます。一方は明るく、一方は暗い感じがする。

「愚者」は束縛が大嫌い、「自由」を好みます。純真無垢で、眼の前に崖があっても怖くありません。未知の世界へ飛び込む勇気を持ち、失敗など恐れません。人はときに「いわゆる常識」からしたら無謀で軽率に見えることでも、しなければならないときがあります。

「隠者」の「自由」は、「愚者」よりも「静かな自由」です。ひとりになれる誰にも邪魔されない自分だけの場所、を求めます。雑踏のなかでは、ほんとうの自由を味わうことはできないからです。

 もしこの相談者が高橋源一郎のアドバイスを受けとめて行動を起こすのなら、まずは勇気を出して「愚者」のように飛び出し、そして、「隠者」のごとくひとりになって冷静に自分を見つめることでしょう。さすれば、そこに「自由」があることを実感するはずです。

 そして、低かった自己評価がどこから来ていたのかをはっきりと知るでしょう。

 まずはそこからはじまります。

 

 おそらく次なる壁は、実家の両親、家族、親類、友人知人、かもしれません。

 彼らが相談者のよき理解者であることを祈ります。

 そうでなかった場合は、そこからも離れたほうがいいかもしれません。

 

 読者のみなさまも、「愚者」と「隠者」、「動」と「静」の「自由」のエネルギーを身に着けてください。それはいつでもあなたを助けてくれます。

 

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